僕とラオスとちんちん

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ブログ毎日更新チャレンジ3日目です!

夏休みに入ったから毎日ブログ更新する

 

前々回過去回の話をしたらGO君から思わぬ反応が来ました。

 

そこでラオスの話を掘り下げようかなと言ったら

 

 

と言ってくださったので今日はラオスの話。

 

 

ラオスってどこ?羅臼?

皆さんラオスってどこか知ってますか?

北海道の羅臼(らうす)じゃないですよ?ラオスですよ?

 

 

東南アジア、インドシナ半島のちょうど真ん中に位置する国です。

首都はヴィエンチャン、メコン川を挟んですぐとなりがタイになっており、タイ語とラオ語はめちゃくちゃ似てます。

ちなみにベトナム語とラオ語は全然違います。これは100%歴史的経緯によるもので面白いんですが今は割愛

 

父の仕事の関係でラオスについて来た木村家ですが、住んでいたのは首都のヴィエンチャンではありません。

サバナケットという田舎です。父の仕事場が近かったのでここになりました。

 

ここらへんです。当時ヴィエンチャンでも都会とは言えないものでしたので、

サバナケットはド田舎と言って差し支えない場所でした。

ここで一家4人初海外生活が始まったのです!

冷静に考えると母親よくついていったな……

 

大きい家、広い庭、メイドさん?! 門番さん??!!!

家はめちゃくちゃでかかったです。

2階建てで1階のリビングは小学校の教室2つ分くらいありました(4歳の体感です、悪しからず)

 

ちなみに庭は家より広かったです。頭おかしいですね。

 

父はサラリーマンですし、当時は若かったのでそれなりの給料だったと思うのですが、

給与水準的に当時日本人がラオスに行けば大金持ちだったんです。

 

メイドさんいましたよ!(東南アジアに住む日本人は割と雇います)

門番さんいましたよ?!! (東南アジアに住む日本人でも雇いません)

 

メイドさんというと日本では誤解を招きそうなので「お手伝いさん」といったほうがわかりやすいですかね

現地の勝手がわからないため、母はよく助けてもらったそうです。

 

ちなみにコミュニケーションはスポンジのようにラオ語を吸収した僕が通訳してました。

子供の吸収力半端ない(今はもう一ミリも覚えてない)

 

幼稚園は半年で辞めた。大嫌いだった。

当時は3歳ということもあって最初は幼稚園に通ってました。

でも幼稚園大嫌いでした。

  • ラオ語が書けない、読めない
  • 昼ごはんが激まず
  • 昼寝嫌い
  • ちんちん切られる

ラオ語が書けない、読めない

幼稚園でたまにラオ語の勉強みたいなのがあったんですよね

僕、現地の友達と遊んでたのでラオ語を話すことはできたんですけど

日本語の読み書きも怪しいのにラオ語の読み書きなんてできるわけ無いですよね笑

 

それで怒られてめっちゃ嫌でした。

 

昼ごはんが激まず

昼ごはん超まずかったです。

毎回なんかおかゆみたいなのが出るんですけど、

味がしなかったり、変な風味がついていたりで全然食べれませんでした。

 

食べなかったら先生怒るし

 

あ、家帰る直前に先生からもらって食べたドリアンは美味しかったです。

 

昼寝嫌い

昼寝大嫌いでした。

一ミリも寝れない。これは日本の幼稚園でもよくありそう。

 

昼寝しなかったらまた怒るし

 

ちんちん切られる

これどういう意味かわかります?

釣りタイトルではあるんですけど3歳体感的にほぼ事実です。

 

幼稚園の先生めっちゃ怒るとハサミ持ってくるんですよ。ガチの裁ちばさみみたいなやつ

それでパンツ脱がせて

ちんちん切るよ!!

って言われるんですよ?

 

超怖かったです。まじでちんちん切られると思いました。

 

 

……半年で辞めて当然じゃね?

 

なにもない。でも、なんでもあった。

当時ラオスは超貧乏でした。今もだと思いますが。

本当になにもないです。

 

今日本で田舎って言われているところでも

ちょっと車走らせればスーパーとかショッピングモールとかあるじゃないですか。

 

買い物先は市場しかなかったです。肉にハエとか飛んでる系の

 

だけど、

3歳〜5歳だったからなんですかね

超楽しかったんですよね

 

現地の子とめんこやら工作やらで遊んだり、

木登りしたり、ドブで釣りしたり

水遊びしたり

 

週一ぐらいで停電して

たまに家で家族みんなでろうそく一つで固まってたりもしたんですけど

それすらも超楽しかったです。

 

ラオスでの経験が今の僕の多くを形作っていると言っても過言ではないと思います。

 

僕の人生で一番後悔している瞬間

さて、僕が小学校に入る時、人生で一番後悔している決断があります。

 

当時サバナケットの現地の小学校に入らせるつもりは両親になかったそうで

選択肢として

  • 首都のヴィエンチャンでインターナショナルスクールに通う
  • 日本に帰って日本の小学校に通う

がありました。

とても迷ったそうで、あろうことか5歳の僕に

どっちがいい?と聞いたそうです。

 

「日本に帰る!!!!」

 

そら5歳の幼稚園児に聞いたらそう言いますよ!

帰ったら漫画とかも沢山あるし、日本語話せる友達ができるし

 

あの頃インターナショナルスクールに行っていれば

今頃英語は苦もなく話せるでしょう・・・

 

まあ、今の人生も悪くない(むしろいい)と思っているので

後悔というほどでもありませんがね笑

 

 

今日はラオスについてでした!楽しんでいただけたでしょうか

ふぁぼ、感想いただけると超嬉しいです!